ドジャー・スタジアム歴史的瞬間トップ10!
野球好きでない人もLAと言えば、ドジャー・スタジアムが有名である事はご存知だと思います。1962年のオープン以来、ドジャー・スタジアムではワールドシリーズを8回開催しており、ドジャーズはワールドチャンピオンシップで4回優勝するという快挙を成し遂げています。また、スタジアムは数多くのライブ、イベントの会場としても使用されており、今までにはビートルズや、ローマ法王もこのスタジアムに来場したそうです!今回は、そんなドジャー・スタジアムの歴史的瞬間トップ10をご紹介致します!
1. KIRK GIBSON'S HOME RUN (OCT. 15, 1988)
この出来事は今でもハリウッド映画の1シーンの様に語り継がれています。ホセ・カンセコやマーク・マグワイアらの強打を誇るオークランド・アスレチックスとの1戦。このシリーズでは、ギブソンは足の故障を悪化させて走ることができず、スターティングラインナップからは外されていました。1回裏にドジャースが2点を先制しましたが、アスレチックスは2回表にカンセコの満塁本塁打であっさり4-2と逆転。その後、アスレチックスは9回裏にその年45セーブをあげたリリーフエースのデニス・エカーズリー(のち殿堂入り)が登板。すぐに2アウトを取りましたが、代打のマイク・デービスが四球で出塁。続いてギブソンが投手アレハンドロ・ペーニャの代打に起用されました。
デービスが二塁盗塁成功し、フルカウントからエカーズリーが投げた得意とするローボールのスライダーを片手打ちのようにスイングすると、打球は右翼スタンドへの逆転サヨナラ2点本塁打となりました。ギブソンが二塁ベースから三塁へ向かう途中で見せた独特の両腕をパシッと前後に出したポーズは日本でも放映されました。そして、足を引きずりながら塁を一周する姿はこの年のMLBのハイライトと言えるシーンとなり、『まさに、不可能な事がおこった!』と言われるまでになりました。ギブソンがこのシリーズに出場したのはこの1試合、1打席きりでありましたが、永遠に語り継がれる一打となりました。この瞬間はLAのスポーツの歴史でも最高と言われる瞬間となっています。
2. SANDY KOUFAX'S PERFECT GAME (SEPT. 9, 1965)
サンディー・コーファックス氏が9月9日のシカゴ・カブス戦で14三振を奪って完全試合を達成し、史上初の4年連続ノーヒッターを達成した事はLAで語り継がれる武勇伝です。27完投・5完封を記録し2年連続の投手三冠を達成した後、引退しました。
3. FERNANDOMANIA BEGINS (APRIL 9, 1981)
『フェルナンドマニア』なる現象は1980年、4月9日、フェルナンド・バレンズエラが20歳の時に始まりました。1980年代の10年間で128勝をあげた投手で、メジャー全体で、ジャック・モリス(当時タイガース)の162勝、デーブ・スティーブ(当時ブルージェイズ)の140勝に次ぎ3位だそうですが、左腕投手としては第1位だそうです。1981年には先発ローテーション入りし、スクリューボールを武器に新人としてはMLB最長となる開幕8連勝を記録。オールスターにも出場し、新人ながらナショナルリーグの先発を務めました。その年は13勝7敗、防御率2.48で、新人王とサイ・ヤング賞を史上初めてダブル受賞したそう!チームもワールドシリーズに進出し、ニューヨーク・ヤンキースを破りワールドチャンピオンに輝きました。フェルナンドも第3戦で完投勝利を挙げ優勝に貢献したのだとか。
4. GAME 4 OF THE 1963 WORLD SERIES (OCT. 6, 1963)
1963年10月6日に行われた第60回ワールドシリーズの第4戦はロサンゼルス・ドジャースが4年ぶり3回目の優勝を果たした一戦として語り継がれています。対戦相手は、ニューヨーク・ヤンキース。結果は4勝0敗で、ドジャーズのホームでの優勝となりました。ホームでの優勝は後にも先にもこのとき一度きりだそうです。サンディー・コーファックスはシリーズのMVPに輝きました。歴史に残る有名な選手達が数多く出場していた事でも有名です。
5. DODGER STADIUM OPENS (APRIL 10, 1962)
今やLAのシンボルとも言えるドジャー・スタジアムは1962年にオープンしました。2300万ドル掛けて作られたこの施設はヤンキーズスタジアム以降、民間金融によって建てられた最初のメジャーリーグスタジアムと言われています。スタジアムは1962年4月10日、シンシナティ・レッズとの試合でオープンし、5万人のファンを動員しました。記念すべき初登板はドジャーズのプレジデント、ウォルター・オマーリーさんの奥さんがされたそうです!この試合はレッズに6−3で負けてしまいましたが、その後のドジャーズの快進撃は皆さんもご存知のところですよね!
6. RICK MONDAY SAVES AMERICAN FLAG (APRIL 25, 1976)
1976年4月25日、2人のプロテスター(抗議人の観客2人)がドジャースタジアムのフィールドに入り、アメリカの国旗に火をつけようとしました。シカゴカブスのアウトフィールダー、リック・マンデー氏が走っていき、国旗を奪い取った事で大事には至らずにすみました。マンデー氏はその後、旗をドジャーズのピッチャーに渡し、観客2人は警官に逮捕されたそうです。次のハーフイニングでマンデー氏がマウンドに上がると場内はスタンディングオベーションだったそうです。翌26日にはイリノイ州議会が5月4日を「リック・マンデーの日」に制定したのだとか。
マンデー氏は1977年にはドジャーズに移籍、引退後、1985年からはスポーツキャスターとしても活躍し、人気を得ています。
7. DODGERS RETIRE THE NUMBERS OF CAMPANELLA, KOUFAX & ROBINSON (JUNE 4, 1972)
1972年6月4日、Hall of Famers 《米国で与えられる称号で偉人や功労者の額や胸像を飾る》として栄誉殿堂入りをした、ジャッキー・ロビンソン(42)と共にロイ・キャンパネラ(39)、サンディー・コーファックス(32)の背番号がドジャースの永久欠番に制定された[46]。“ジャッキー”ジャック・ルーズベルト・ロビンソン(Jack Roosevelt "Jackie" Robinson, 1919年1月31日 - 1972年10月24日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手(内野手)で、一般的に黒人初のメジャーリーガーとして知られています。ロイ・キャンパネラ(Roy Campanella, 1921年11月19日 - 1993年6月26日)は、1940 - 1950年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグ、ポジションはキャッチャー。右投げ右打ちで知られ、ニックネームは"Campy"(キャンピー)。リーグ最優秀選手を3度獲得、ドジャース在籍10年間でチームを5度のワールドシリーズに導きました。サンディー・コーファックス(Sanford Braun Koufax, 1935年12月30日 - )は、メジャーリーグ歴史の中では知らない人のいない名投手。アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出で、ニックネームは「The Left Arm of God」(神の左腕)だったそうです。
8. ALL-STAR GAME (JULY 8, 1980)
1980年7月8日にロサンゼルス・ドジャースの本拠地ドジャー・スタジアムでMLBオールスターゲームが行われました。試合はアメリカンリーグとナショナルリーグの間で行われた51回目のオールスターゲームでした。ドジャーズスタジアムでは初となるオールスターゲームで、ドジャーズがホストとして迎える試合としては2回目でした。試合結果は2 - 4でナショナルリーグが勝利しました。
9. MIKE PIAZZA HITS A HOME RUN OUT OF DODGER STADIUM (SEPT. 21, 1997)
1997年9月2日、当時キャッチャーだったマイク・ピアザ氏が145メーターのホームランを打ちました。今までの歴史の中で、ドジャースタジアムの場外、駐車場スペースまでの超ロングホームランを放ったのはドジャーズの選手ではピアザ氏たった一人です。他のチームの選手を入れても3人しかいないそう!本当にすごい事なんです!
10. BASEBALL AT THE 1984 SUMMER OLYMPICS
1984年夏期オリンピックは、野球大国であるアメリカ合衆国で開催されるオリンピックということで、国際野球連盟(当時はAINBA、現:IBAF)の働きかけもあり、初めてナショナルチーム同士による公開競技として野球が開催されました。8試合がドジャースタジアムで行われました。なんとファイナルでは日本がアメリカを倒し金メダル、中国が銅をとったそうです。しかしながら、このとき野球はデモンストレーションゲームとして行われ、公式に競技の一つとして組み込まれいた訳ではなかったそうで、メダルは献上されなかったそうです。