LAマラソン体験レポート2013

楽しすぎる沿道に励まされて笑顔でゴール! 高橋成子さん (4時間10分)

きっかけは、犬の散歩のときに他の飼い主さんが着ていたTシャツだった。「LAマラソン行かれたんですか?」「いや、12月に駒沢で親善ランがあってね」。そうなんだ、駒沢なら近いから出てみようかな。それにもしかしたらLAに行けるかもしれないし……。そしてなんと! LAに行けちゃったのである!
 3月17日早朝、私はLAマラソンスタート地点のドジャー・スタジアムにいた。2日前にロサンゼルスに到着。パサデナ観光のあと、EXPOでゼッケンを受け取り、翌日はユニバーサルスタジオで童心に帰ったあと、ハリウッド観光。2日間にわたるアメリカンなカーボローディングを済ませ、準備万端で当日を迎えた。
 スタートまでおよそ1時間。しばらくドジャー・スタジアムのスタンドで待つ。ランナーにこの場所を開放するとは、何とも粋な計らいだ。次第に周囲が明るくなり、スタート位置へ並ぶ。キンバリー・カルドウェルの国歌独唱に続き、ついにLAマラソンスタート! ここから数時間、サンタモニカに向けて一人旅の始まりだ。
 さて、ペースをどうしよう。少し前に3:45のペースランナーがいるがそれはあり得ない。と、後ろから4:00集団がやって来たのでとりあえずついていこうと思う。コースはワンウェイ。道路は完全封鎖されていて対向車線の車もない。しかし小刻みな曲がりに加えアップダウンが激しい。圧巻は4マイルのところにある上りの2段坂。心が折れそうになるが、和太鼓の音に励まされてなんとか上る。
 ハリウッド、ウエストハリウッドはほぼ直線。途切れることのない沿道の声援のなか、チャイニーズ・シアターの前を走り抜ける。この大会、応援者への規制が緩い、というかほぼない感じ。給水所では手に手に紙コップを持って差し出してくれるし、オレンジやプレッツェルを配る人たちも。そしてチアガールに扮(ふん)したゲイの集団に遭遇! ランナーだけでなくみんなが楽しんでいるのがわかる。そしてコースはビバリーヒルズへ。
 ロデオドライブの辺りで脚に異変が。ペースダウンしたところで、
4:00集団にあっという間に置いていかれてしまった。痛むふくらはぎと膝上、なんとかつりませんように。無理はしないよう、でもできるだけ速く。このせめぎ合いがツライ。

この達成感が忘れられない

20マイルを過ぎたところで、なんとビールを配っている人たちが! 本当になんでもありだ。そしてこの辺りから「YOU CAN DO IT!」の声援に加え、「ALMOST THERE!」そして「NO MORE UPHILL!」。
ところが、この先最後の上りがあり、心の中で「ウソつき~!」と叫びながら進む。隣を見ると、ビブのないおばちゃんがランナーと並走していたり、近所の子供がキックボードで走っていたり、「?」「!」の連続。もう脚が限界、いつつるかわからない恐怖と闘っていると、「PAIN RELEI-
VER!」の声が。日本人の応援団の方々がエアスプレーを手に立っている! これぞ天の助けとばかりに思いっ切り噴霧してもらい、隣でヤクルトを受け取ってさらに前進。
 ようやくサンタモニカの海が見え、最後の直線コースへ。遠くにかすんで見えるゴールゲート。もう全力で進むしかない。なんとか脚よ、もってくれ! そしてついにゴール! 途中どんなに苦しくても最後は笑顔で。そう、それだけの価値がある。頑張ったんだもの!
 素敵な完走メダルをもらい、その後ふくらはぎがつって地面をのた打ち回ったが、終わりよければすべてよし。EXPOでもらったリストバンドと引き換えにビールを受け取り、自分に乾杯!
 お天気が曇りで青い空と青い海が見られなかったのは残念だったが、風もなく走るには最適なコンディションだった。終始、ランナーと応援との一体感が感じられ、本当に素敵な“Stadium to the Sea”だった。夜はリブアイステーキでおなかを満たし、翌朝はマンハッタンビーチでパンケーキをいただき、LAを満喫して帰途に就いた。
 レース後、よれよれの格好で入ったサンタモニカのブランドショップでイケメンの店員さんから、「マラソン走ったの? タイムは?」と聞かれた。そしてさらに「どうして走ろうと思ったの?」と。「う~ん、この年になると誰も褒めてくれないからね、だから」「自分でやった~!ってことが欲しいんだね」。
 そう、この達成感こそが私が走る理由。また一つ、忘れられない達成感が得られた大会となった。
 ありがとう、LAマラソン!

 

「また走りたい」?初めて味わった気持ち 越井大志さん (2時間54分)

「キツかった…。でも来年もまた走りたい!」
 それが、ゴール直後の率直な感想だった。レース後、いつもだったら
 「これでしばらく走らなくていい」という安(あん)堵(ど)感に包まれるが、初の海外マラソン挑戦となったLAマラソンでは、これまでのレースでは味わったことのない気持ちになった。その理由は、なんといっても沿道の観客の大声援! 街の人たちがLAマラソンというお祭りを、ランナーと一緒に、もしくはそれ以上に楽しんでいるところが、これまで走ってきた日本のレースとの大きな違いのように感じた。
 沿道は、ほとんど絶え間なくたくさんの観客にあふれ、ランナーが通過するたびに大きな声援を送ってくれる。ひとたび知人が通ろうものなら、とたんにハグやらハイタッチやらで、もう大変な騒ぎ。至る所でバンドの生演奏が行われていたり、カラフルなユニフォームに身を包んだハイスクールのチアリーダーたちが、ダンスしながら応援してくれたりと、様々な方法でランナーを元気づけてくれる。(つい、よそ見が過ぎてペースが落ちそうに…)
 そして、走っていて何よりうれしかったのは、すべてのエイドステーションでスタッフの人たちが水やスポーツドリンクを直接手渡してくれ、
〝Good job!!〟と、ランナー一人ひとりに声を掛けてくれること。
 なかには、コースの真ん中に陣取って水を渡してくれる私設エイドの人たちや、自転車で並走しながら檄を飛ばしてくれるアツい人も…。
 ランナーと観客との距離が近く、細かな規制もなく、いい意味で大雑把なところは、さすがアメリカ!?
 体力的に苦しかった37㎞付近では、LA在中の日本人の方々の大声援も。海外での「ガンバレ」は結構グッとくるものがある。


LAの魅力に励まされて


“Stadium to the Sea”と題されているコース自体も魅力満載。まずは、号砲前のランナーたちによるアメリカ合衆国国歌の斉唱に鳥肌が立った。そしてドジャー・スタジアムをスタートし、ハリウッドやビバリーヒルズ、ダウンタウンなどを通り、サンタモニカビーチのゴールへ。有名なスポットが網羅されていて、初めてのLA訪問だった自分にとって、観光気分も味わえて一石二鳥だった。
 とはいえ、コースはアップダウンが多く、想像以上にタフなものだった。ラストは脚を使い果たしてしまい、両方のふくらはぎがつりかけたが、またまたゴール前での大声援に助けられて、なんとかゴールへ。ゴール前の最後の直線では、アナウンサーが自分の名前をマイクでコールしてくれるのだが、これには自然とテンションとスピードが上がった。
 レースの結果は2時間54分48秒(Chiptime)で、約2万4000人のエントリーのなかで89位だった。自己ベストには届かなかったが、LAマラソンへの参加が決まったときからひそかに狙っていた、〝海外でサブスリー〟という目標は達成することができた。
 ケガもあり、今年に入ってから十分な走り込みができず、レース前は不安もあったが、LAマラソンの温かい雰囲気が後押ししてくれたように思う。唯一の心残りは、ゴールしたらサンタモニカのビーチでビールを飲む! というプランを寒すぎて断念したことくらい(暖かいイメージのある西海岸だが、この日は肌寒い1日だった)。
 今、こうして振り返っても、街の中心を走ることでLAの魅力を存分に味わうことができ、また運営側も観客もホスピタリティにあふれている、LAマラソンは本当に素晴らしい大会だったと思う。
 レースの前々日にLA入りすることができたため、ランニング関連の多種多様なブースが出展しているLAマラソンEXPOやユニバーサル・スタジオ・ハリウッドに行ったり、ショッピングを楽しんだりと、リラックスしながらレースに向けて時差調整をすることができた。また、現地在住の日本人ランナーの方々と一緒に食事をして、当日のスタート前にも交流できたことはとても有意義だった(海岸沿いやトレイルなど、LAには身近に魅力的なランニングスポットがたくさんあるようで羨ましい限り!)。
 短期間だったものの、凝縮されたLAの魅力に触れることができて、またぜひ訪れてみたいお気に入りの街になった。