LAマラソン体験レポート2010

モニターランナー:宮南譲さん

昨年12月6日。LAマラソン親善RUNを走り終え、一緒に参加した友人にゼッケンを託し、一足早く会場を後にした時の出来事であった。その友人から電話が入り「おめでとう!当たったよ!」


ところで皆さんは、LAマラソン親善RUNをご存じだろうか?毎年、駒沢公園で開催され、参加者から抽選で2名が、本場LAマラソンのモニターランナーとして招待されるという大会。東京マラソンより当選確率は低いし、当たるはずが無いと決めてかかっていたのだが、それに私が当たってしまったのである。世の中何が起こるか分からない。


振り返れば、35歳を過ぎてからの健康診断では、再検査の常習犯。健康の為にと週末ジョギングを始め、10kmレース、ハーフマラソンと走るようにはなったが、まさかフルマラソンを走る日が来るとは…。本当に、世の中何が起こるか分からない。


何はともあれ、幸運にもLAマラソンへの招待チケットを手にしたのであるから、絶対に完走したい。 とは言え、どんな練習をしたら良いのかわからない。そこで、『初めての42.195kmを笑顔で走り切るための完全攻略本 マラソン完走マニュアル』を購入。それからの日々は、マニュアル君と化し、周囲が呆れる程、トレーニングに没頭した。


そして、4ヶ月後の3月20日。アメリカン・エアラインの直行便でLAへ出発。アメリカンだけにアメリカンサイズなのか、エコノミー席でもストレスは感じず、機内映画も充実。あっと言う間の10時間であった(お陰で、機内では眠れず、時差ボケ対策は失敗に終わった)。


LA到着日は、EXPO会場のドジャースタジアムでゼッケンをピックアップ、翌日のフルマラソンに備え、のんびりと過ごして、早めの就寝。


そして、LAマラソン当日の朝を迎えた。K・SWISSのウェアとシューズに身を包み、車でスタート地点へ移動。さすがに明け方は肌寒かったが、スタート地点に立つ頃には、寒さも忘れて雰囲気を楽しみ始めていた。


「この日の為に練習してきた。やり残してきたことは何もない。あとは楽しんで走ろう。」


アメリカ国歌斉唱後、25,000人のランナーが雄叫びを上げ、一斉にスタートをした。
今年のLAマラソンは“From the Stadium to the Sea”と言われる通り、ドジャースタジアムからダウンタウン、ハリウッド、ビバリーヒルズを通って、サンタモニカでゴールするという観光コース。しかし、アップダウンは、かなり激しい。3マイル付近で、事の深刻さを悟り、上り坂は無理せずに歩く作戦に切り替え、ハリウッドサインを眺めながら、しばらくファン・ランニング。
アカデミー賞授賞式で有名なコダック・シアター、グローマンズ・チャイニーズ・シアターを通り、映画『プリティー・ウーマン』でお馴染みのロデオ・ドライブでは、「ビビアーン」と、心の中で叫ぶ余裕もあり、順調だったのだが、19マイルを超えた頃から足が止まり出した。
20マイルからは、右膝が痛み出し、思うように走る事も出来ず、沿道からの「Keep running」「You can do it」という声援が、唯一の心の支えであった。やっとの事で25マイルを通過し、右手に海岸線、前方にゴールが見えるも、足が言う事を聞いてくれない。
そして、26マイルを通過した残り0.2マイル。沿道の声援は、最高潮に達していた。膝の痛みを堪えてのラストラン、そして夢に見たゴール!
最高の瞬間であった。たくさんの応援とボランティアの方々のサポートがあったからこそ完走できた事に、ただただ感謝した。目標タイムには程遠い結果ではあったが、来年のLAマラソンでリベンジするという新たな野望が出来たので、良かったのかもしれない。


フルマラソン完走の興奮から覚めた翌日は、ユニバーサル・スタジオとマダム・タッソーを観光。今回滞在したウィルシャー・ホテルからハリウッドへは、地下鉄で一本とアクセスも良く便利であった。夜は、グレンデールのアメリカーナで最後の晩餐、食後はグリフィス天文台から夜景を楽しむというお腹一杯な内容の一日を過ごした。


そして、帰国日の朝は、少し早起きをして、サンタモニカでセレブな朝食。最後の最後までLAを満喫した。本当に楽しく、充実した弾丸ツアーであった。
       

最後に、今回のツアーをアレンジしていただいたLA観光局の今井マネージャー、マラソンで最初から最後まで伴走、そして励ましてくれたクリールの樋口編集長、いつも笑顔で皆を陽気にしてくれたクリールスタッフの齋藤女史、写真撮影の決めポーズが素敵な脚本家の川嶋女史にこの場を借りて感謝を申し上げたい。